教えて苫米地先生「利他性の定義」
2026/4/15 更新
「自分」とは、一体どこまでを指すのでしょうか。
私たちは日常的に、「自分の意思で考え、判断している」と感じています。
しかし、その感覚は本当に確かなものなのでしょうか。
ドクターは、自我を単なる意識や感覚ではなく、「重要度に応じて世界を並び替える関数」として捉えます。
一見すると難解にも思えるこの定義は、私たちの思考や行動のあり方を、これまでとは異なる角度から見直す視点を与えます。
さらに、その「自分」は固定されたものではなく、環境との関係の中で揺れ動き、バランスを取り続けている可能性も示唆されます。
日々の判断や選択は、本当に自分自身のものなのか。それとも、外部からの影響を受けた結果にすぎないのか――。
そして、こうした自我のあり方を考えるうえで浮かび上がるのが、「利他性」という視点です。
それは単なる善意ではなく、自分と他者との関係の中で、自我そのものの輪郭を問い直す手がかりとなります。
普段は疑うことのない「自我」という前提に立ち止まり、その構造と可能性をあらためて見つめ直すこと。
本講義では、「自分とは何か」という根源的な問いを起点に、思考と環境、そして利他性の関係について掘り下げていきます。

Vol.1 関数として定義される人間の意識構造
----先日、先生の新刊『生成AIの正体』を読んで、改めて「自我」についてお聞きしたいなと思っています。AIですら持ちうるかもしれない自我とは...そもそも僕らの自我ってなんだろうか?と。
苫米地 そんなに難しく考える必要はないよ(苦笑)。コーチングの自我の定義では、「宇宙の全存在を自分にとっての重要度で並び替える関数」だよね。そして、「すべての未来の可能世界を、重要度順に並び替えるのがゴールという関数」であり、「現在の可能世界を、自分の重要度順で並び替える関数がコンフォートゾーン」だよね。だから、簡単に言うと、自我とは、「すべてのコンフォートゾーンをすべての未来のゴールに従って並び替える関数」ということだよ。これは定義上の自我だけど、皆さんはそれをわかっていようがいまいが、自我という感覚はそれぞれ持っているよね?
----はい、自分はいまここにいて、思考しています、という感覚はあります。
苫米地 当然あるよね。だから、それはそれでいいんだって。感覚的な意味合いとしての自我、単純に、内省的な意味合いでの、「自分は自分である」という意識は誰にだってある。しかし、それだと感覚的な話以上のものにはならないから、『オーセンティックコーチング2026』や『生成AIの正体』で詳しく書いたの。特に『オーセンティックコーチング2026』では、自我を形式定義にしているから、それはしっかり見てほしいね。{w ∀y∃x pSelf (x,y) } x,y ∈ Universeだよ。
----実はそれがよくわからなくて......。
苫米地 これも難しく考える必要はないの。一言で言ってしまえば、再帰性だよ。
----再帰性?
苫米地 ある関数を定義する時に、その定義の中に自分自身が入ってる、というようなことだよ。人間は同じことを毎日している。それを再帰的に考えればいいわけ。脳内における、なんらかの階層性を持った、相互性をもった関数の集合体として考えるだけで、それのわかりやすい関数がゴールであったり、コンフォートゾーンって言っているのね。これが相互的に影響を与え合うダイナミックなシステムであると。わかる?
----う~ん、再帰性もわかります。階層性もわかります。でも、人が関数の集合体という話になってくるとわからなくなってきます......。
苫米地 例えばホメオスタシスは、生態における進化の過程で、「それが正当である」というバランス状態を安定的に維持する傾向なんだよね。生態にとって望ましい状態を安定的に維持するシステムだよ。自分自身にとってステディな状態。生物にとってのからくり、という意味合いでいうと、物凄く巨大な生物システムの集まりだからね。免疫システムからなにから、全部集めれば、物凄く細かい、再帰的な関数が大量にあるってこと。再帰的とは、一個一個の白血球は皆同じ関数でしょ? ということは一つの再帰関数を大量に走らせればいい、ということだよね。まさにそういった再帰的な細かい関数の集合体が、動的に相互関係を持ち合って、免疫システムだけじゃなく、ありとあらゆる生態システムの結果として、体温は36・4度ぐらいに維持されていますよ、ということなんだよ。
実は、これは凄いことなの。なぜなら、人は立って歩くだけだって物凄くバランスを取ってるわけだ。こうやって座っているだけだってそうだよ。常に身体は動いていてバランスを取ってるし、ちょっとモノを取ろうとして動いただけで、バランスは計算し直されるわけ。そんなこと我々は意識もしないでやっている。自転車に乗るのも、車を運転するのもそう。全部無意識にやってるでしょ。自転車を漕いで止まって、とか、自動車のアクセルを踏んでギアを入れてとか、全部無意識にできている、ということは、自我が、自転車や自動車にまで拡張されている、ということでもあるんだよ。
----汗をかいたり、とかだけじゃないんですね。
苫米地 もっと色々なことが、ホメオスタシスのお陰で可能になっているのね。そういうダイナミックなシステムの話をする時、自我とは何? コンフォートゾーンとは何?といった部分で、各自が勝手な解釈をしていたら、ディスカッションなんてできないでしょ。だから、形式定義を設定したの。わかる?
----はい。「僕にとってのセルフ」とか言っていても始まらないですね、確かに。
(vol.2に続く)
※続きは、入会してお読みください→入会はこちらから
