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教えて苫米地先生「死ぬことが怖いのなら、まず、利他的に生きるべし!」

2025/12/25 更新

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人は誰しも、老い、そして死から逃れることはできません。
それはすべての生物に等しく訪れる、避けようのない現実です。

にもかかわらず、私たちは「老後はどう生きるべきか」「死後はどうなるのか」と、まだ起きてもいない未来に不安を募らせ、思考を硬直化してしまいがちです。

天国か地獄か、輪廻はあるのか――。そうした問いに、どれほどの意味があるのでしょうか。
ドクターは、この根源的な不安に対して、きわめて明快に言い切ります。
「死後のことは、死んでから考えればいい」。

重要なのは、死後の物語を信じることではなく、「生きている間に、どう生きたか」という一点だけだと。
その上で、宗教や思想の違いを超えて、すべてに共通する基準は、利己ではなく、利他の姿勢で生きているかどうかにあると指摘します。

老いも死も、決してネガティブなものではありません。むしろそれらは、生き方の質を問い直すための、避けられない問いなのです。
死が怖いのなら、どうすればいいのか。

その答えは、意外なほどシンプルです。

本講義では、老いと死を正面から見据えながら、人が「安心して死ねる生き方」の条件を、倫理と利他の視点から解き明かしていきます。



Vol.1 悩むべきは「どう生きるか」

――今日は老いと死について、いま先生が考えていることをお聞きしたいです。

苫米地 まず一番最初に言えるのは、老うことと死ぬことは、すべての種族、すべての生物にあることだから、悩むことではないわけだ。

 じゃあ、人間にどうインパクトを与えるかというと、生きてるときにインパクトがあるわけでしょ? 将来死ぬということを知ってるし、老いるということを知っているから。そのことで人生が変わる。「死をどう解釈するのか?」とかさ。

 だけど俺はいつも、「死んだあとのことは、死んでから考えてくれ」って言ってる(笑)。釈迦は輪廻について聞かれたときに、毒矢のたとえとしてこう言ってるよ。「毒矢が刺さったらどんな毒が刺さったのか?とか考えていないで、早く抜け」って(笑)。それと同じだよね。

――確か「無記(問いに対して是とも非とも答えないこと)」でした。

苫米地 釈迦は死後の世界について「ない」とも「ある」とも言ってない。輪廻については「無記」。だけど、もともとバラモン教徒で徹底的に輪廻を信用している人に対しては方便を使っている。釈迦も「俺が昔シカだったころ...」とか言っていたと思うよ。
 子供向けにするようなたとえ話の世界では、いくらでもそういう話はあり。でも「だから、何?」でしょ? みんな死後のことが不安で生きてるから、そのために死後の素晴らしいストーリーを作ってあげるのが宗教の役割。でも俺はそれはいらない。死後については、死んでからのお楽しみだね(笑)。

――僕とか編集者は、まだ死んでからのことはあまり気にならないです。

苫米地 俺のところに来る編集者たちは40代とかが多いからね。まだ、死後は考えないだろうけど、でも、絶対に来るからね。

――そうなんですよねぇ。ただ、僕らとしては、第二の人生のスタートとしての老後を考えているのですが。

苫米地 俺もそれを言ってるよ。ただ、その前に絶対的な衰え、そしてやがてやってくる死について、先に考えたほうがよくない? 

――ネガティブから入るんですか?

苫米地 だからそこ。ネガティブだと思っているから問題だよねって話。さっきから言ってるように、絶対に来るものは来る。すべての生物が避けられない。だからネガティブとかじゃないんだよ。みんな死ぬの。そのとき、「天国に行けるかな」って思っても遅いよ。もう取り返しがつかないから(笑)。じゃあ、どうしたらいいの?っていったら、ありとあらゆる宗教と無宗教、無神論、共産主義まで含めて「正しい」と言っていることをやっておけばいいでしょ? 

 すべてで正しいと言われているのは「生きてるときに悪いことしてると死ぬとき悪いことが起きる」ってことだよ。ゴキブリに生まれ変わるのか、地獄に行くのかは別として、生きているときにいいことをしている人は、死後いいところに行くんだよ。これは多数決でまず間違いなくない?

――四の五の言わずに良いことをすればいいんだと。

苫米地 そうでしょ。だから俺は、宗教は多数決でいいと思ってるわけ。おそらく俺の知っている全ての宗教が、「生きてるときの善行は必ず死後にいいことがありますよ。悪行は悪いことがありますよ」と言っている。

 ただしそこで、何が善行か、というのは意外と多数決が分かれるところ。昔の十字軍の時代は、カトリックはイスラムを殺すことが善行で、その逆もしかりだったわけだけど、いまはそれはないでしょ? 現在の多数決はそうは言ってない。原理主義者、テロリストは別として、他宗教でも「殺していい」とは言ってない。ということは簡単じゃん。死後のことを言ってる人は、「自分の宗教を信じていればいい」ということ。自分の宗教を信じることが善行に通じるわけね。

 ただし、拝金主義はダメね。拝金主義が「良い」という人は誰もいないし、ダメなのは分かりきっているのに、なんかみんな、なるよね(苦笑)。俺の昔の友達の何人かはシンガポールや、ドバイとかにいるんだよ。なのによく六本木とかで見るんだけど。彼らは短期滞在180日ルールで、1年のうち180日までは日本に居て、あとはドバイとかで暮らしている。そうすれば日本で税金を払わなくていいから。みんな金を持つと税金を払いたくなくなるから、そうやって海外に逃げていく。でも俺は絶対にしない。

(vol.2に続く)

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